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2018年06月20日
「楽々園」の「御書院」が6月24日まで特別公開されています

彦根藩の下屋敷として造営された大名庭園で国の名勝「玄宮楽々園」(彦根市金亀町)の「御書院」が6月24日まで無料特別公開されています。

楽々園は、平成17年から復元修復・保存整備が行われ、現在も続行中です。平成21年度から着手された御書院棟の整備完了を期に本公開となりました。現在、地震の間、雀(すずめ)の間、おかるの間、雷の間、紅葉の間の修理が行われています。その後、楽々の間が整備されるほか、現存しない茶室「虎鋸(こきょ)」や長屋門などが復元されることも計画されています。全体の整備完了時期は平成37年度の予定です。

11代藩主井伊直中の隠居によって最大規模に膨らんだ時期の「楽々園」

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楽々園は、井伊家4代藩主の井伊直興(いいなおおき)が延宝5年(1677)から2年をかけて、彦根藩の二の丸御殿として造営されました。その後は質素倹約で規模は縮小されつつありましたが、文化10年(1813)、11代藩主井伊直中(いいなおなか)が隠居後の住まいとするに際して大規模な増改築が行われ、「槻御殿(けやきごてん)」と呼ばれていました。さらに12代藩主井伊直亮(いいなおあき)の時代に、佐和山や松原内湖内湖が見える「楽々之間」を増築してから楽々の名で呼ばれるようになり、そして、明治以降に「楽々の間」から「楽々園」という呼び方に変わりました。楽々は、「山を楽しみ水を楽しむ」に由来する呼称です。

公開されている「御書院」は「楽々園」内にある建物の一部で、現在は建物部分を楽々園、庭園部分を玄宮園と呼び分けています。

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整備後 外観

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整備前 外観